暴力や支配から逃れて安全な場所へ避難したにもかかわらず、ふとした瞬間に相手のことが気になったり、元の生活に戻ったほうが楽なのではないかと感じたりすることがあります。過酷な状況から必死の思いで抜け出したはずなのに、なぜ危険な相手を求めてしまうのかと、自分を責めてしまう方も少なくありません。
離れた後に湧き上がる強い執着や寂しさは、決して意志の弱さや愛情の深さによるものではなく、「トラウマボンド(外傷的絆)」と呼ばれる心理的な反応が大きく影響しています。
この記事では、恐怖と安心が繰り返されることで生じる心への影響や、戻りたい衝動に襲われたときの具体的な対処法、支援者とともに安全を守りながら回復を目指す道筋を整理します。事実と感情を分け、ご自身の安全を最優先に保つための判断材料としてお役立てください。
危険な相手へ戻りたくなる心理は意志の弱さではない
加害者の元から離れた後に強い引き戻しを感じると、「あんなにひどい目に遭ったのに、なぜ戻りたいと思ってしまうのだろう」と激しい自己嫌悪に陥ることがあります。まずは、この反応が特別なことではなく、過酷な支配下で形成された心身の反応であることを理解することが大切です。
トラウマボンド(外傷的絆)とは何か
トラウマボンドとは、支配や虐待を行う相手との間に生まれる、強烈で不健全な感情の結びつきを指します。暴力や暴言、過度な制限などの恐怖にさらされ続けると、人は極度の緊張状態に置かれます。その最中に、加害者からわずかでも優しさや配慮を示されると、強い安堵感とともに相手への感謝や依存が急速に深まってしまいます。
この「強い恐怖」と「突然の救済」が不定期に繰り返されることで、脳内では強い執着の回路が作られます。たとえ理性では「危険な相手」「離れるべき関係」と理解していても、感情や身体が相手の存在を強烈に求めてしまうのは、長期間の支配によって生じた心理的・生物学的な防衛反応の一種です。ご自身の我慢が足りないからでも、意志が弱いからでもありません。
離れた後に罪悪感や孤独感が強まる背景
避難直後は緊張感で気が張っていても、物理的な安全が確保された途端に、急激な寂しさや相手への罪悪感が押し寄せてくることがあります。「相手を一人にしてしまった」「自分がもう少し我慢していれば良かったのではないか」と考えてしまうのも、支配関係の中で刷り込まれた思考の癖です。
支配的な関係性の中では、常に相手の機嫌を最優先にし、相手の怒りや不機嫌の責任を被害者側が背負わされる構造が続きます。その結果、離れた後も「相手を見捨ててしまった」という錯覚にとらわれやすくなります。しかし、その罪悪感はあなたが背負うべき責任ではなく、支配から抜け出す過程で誰もが経験しやすい感情の波です。
恐怖と安心が交互に与えられる影響
DVやモラハラを伴う関係では、暴力や圧迫が日常的に続く時期と、穏やかで優しい時期が一定の周期で繰り返される特徴があります。この急激な落差こそが、関係を断ち切ることを難しくさせる大きな要因です。
緊張・爆発・ハネムーン期の心理的サイクル
多くのDV関係には、心理学で「DVのサイクル」と呼ばれる循環が存在します。
日常の中で小さな不満や威圧感が蓄積していく「緊張期」、暴言や身体的暴力、激しい威嚇として噴出する「爆発期」、そしてその後に訪れる「ハネムーン期(追究期・解放期)」です。
ハネムーン期に入ると、加害者はこれまでの態度を一変させ、涙を流して謝罪したり、高価なプレゼントを贈ったり、「もう二度としない」「お前がいないと生きていけない」とすがりついてきたりします。この急激な変化を体験すると、被害を受けた側は「本当は優しい人なのだ」「今度こそ変わってくれるかもしれない」という強い希望を抱きやすくなります。
相手の優しさを過剰に求めてしまう理由
過酷な環境にいればいるほど、ハネムーン期に与えられる束の間の安心感は、何物にも代えがたい救いに感じられます。恐怖に怯えていた状態から一気に解放されるため、脳はその強烈な安堵感を深く記憶します。
離れた後に思い出す「相手の良いところ」や「楽しかった記憶」は、このハネムーン期に強く刷り込まれたものです。しかし、ハネムーン期は問題が解決した状態ではなく、次の緊張期へ向かうためのサイクルの一部に過ぎません。優しさの記憶が蘇ったときは、その前後に必ず激しい恐怖や支配が存在していたという客観的な事実を思い出す必要があります。
戻りたい衝動が強いときに一人で連絡しない
相手への連絡衝動や復縁を望む気持ちがピークに達したとき、最も避けたいのは、一人きりの状態で加害者に連絡を取ったり、話し合いの場を持ったりすることです。
連絡したくなったときに安全な距離を保つ工夫
相手の声を聞きたくなったり、近況を確認したくなったりしたときは、感情が落ち着くまで行動を遅らせる工夫が有効です。
スマートフォンを直接操作できないように別の部屋へ置く、連絡先を一時的に非表示にする、信頼できる支援者や友人に連絡衝動があることをそのまま打ち明けるなど、行動に移すまでの間にクッションを設けます。
また、過去に記録した日記や被害のメモ、録音などを読み返すことも、現実を冷静に見つめ直す助けになります。相手の優しかった言葉ではなく、自分がどれほど恐怖を感じ、どのような危険に直面していたのかという事実を確認することで、一時的な感情の揺らぎから身を守ることができます。
危険な同居生活へ逆戻りするリスクを防ぐ
加害者に一度連絡を取ってしまうと、相手は巧みな言葉で罪悪感を刺激し、居場所を突き止めようとしたり、直接会う約束を取り付けようとしたりします。直接会ってしまうと、長年身についた服従の心理が瞬時に働き、自らの意思で断ることが極めて困難になります。
一度戻ってしまうと、以前よりも監視や束縛が強化され、二度目の脱出がさらに困難になるケースも少なくありません。連絡を取りたいという感情が湧くこと自体は否定せず、その行動を起こすことだけは踏みとどまるという明確な境界線を持つことが大切です。
支援者とのつながりを保ち回復を待つ
トラウマボンドによる強い執着や感情の揺れは、時間が経過し、安全な生活を積み重ねていくことで徐々に薄れていきます。一人で抱え込まず、外部の支援を受け続けることが回復への近道です。
専門相談機関や支援者の力を借りる重要性
配偶者暴力相談支援センターや自治体の女性相談窓口、警察などの専門機関は、避難の手続きだけでなく、離れた後の心のケアや生活再建の相談にも対応しています。
「逃げたのに相手の元へ戻りたくなっている」という葛藤も含めて、ありのままの気持ちを相談員に伝えて構いません。専門の支援者はトラウマボンドの仕組みを理解しているため、あなたの感情を否定することなく、安全を確保しながら冷静な判断を支えてくれます。
焦らずに自分の感覚を取り戻していく道筋
長期間にわたる支配を受けてきた心身が落ち着きを取り戻すまでには、一定の時間が必要です。調子の良い日もあれば、急に強い不安や寂しさに襲われる日もあります。感情が後戻りしたように感じても、それは回復の過程で自然に起こる波であり、失敗ではありません。
日常の中で「今日何を食べるか」「何時に寝るか」といった小さな選択を自分の意思で決めていくこと、安心して眠れる夜を重ねていくことが、奪われていた自己決定感を取り戻す基盤になります。相手のために使っていた時間とエネルギーを、少しずつ自分自身の生活と安全を守るために使い直していくことが大切です。
まとめ
DVやモラハラから逃れた後に相手の元へ戻りたくなる衝動は、意志の弱さではなく、トラウマボンドと呼ばれる心理的な防衛反応から生じるものです。
恐怖と安心が交互に与えられる関係性の中にいたことで、相手への強い執着や罪悪感が作られていますが、それはあなたが責任を負うべきものではありません。
戻りたいという強い感情が湧いたときは、決して一人で相手に連絡を取らず、公的な相談窓口や信頼できる支援者にその気持ちを伝えてください。
まずはご自身の身体と生活の安全を最優先に確保し、専門機関のサポートを受けながら、焦らずに自分自身の安心できる時間を取り戻していきましょう。
参考情報
- 内閣府男女共同参画局 配偶者からの暴力被害者支援情報
- 配偶者暴力相談支援センター
- 警察庁 DV・ストーカー等被害対策
【注意事項】
この記事は、DVやモラハラ被害後の心理的な特徴や対処法に関する一般的な情報を提供するものであり、医学的な診断や個別の法的判断を行うものではありません。現在進行形で危険が迫っている場合や、緊急の保護が必要な場合は、直ちに警察(110番)や最寄りの配偶者暴力相談支援センターなどの公的専門機関へご相談ください。


